富竹の歴史を訪ねる集い

第3章  信濃の国 長野県は江戸期の寺子屋数は全国一番でした。その影響で教育は田舎にも広く広がって、俳句、連歌にも通じています。

小林一茶は宝暦13年に北信濃の柏原に生まれました。全国放浪して、学友と知り合いになり、寛政の頃は、連歌師として広く全国に知れ渡りました。文化、文政のころ故郷の北信柏原に戻り、近郷近在の弟子たちと連歌会を開いて、生活費を稼いでいたようです。「七番日記」 「八番日記」にこのころの様子が読み取れます。

富竹村は善光寺から長沼、柏原に行く途中で一休みしたり、連歌句会を開いた村で、{上州街道}と呼ばれる脇街道が通じていました。

この街道脇の直心院境内に石碑が建立されています。四方丸の句碑とそこ子かん庵がいかに地元の村の教育に尽くしたか弟子たちの石碑建立趣旨の文字を見ればわかります。

先祖の歴史掘り起こすをことで、忘れ去られている、歴史をスクープしたいと思っています。
6月 20日    報告  富竹区 小澤文弘

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