富竹の歴史を訪ねる集い 第2章  富竹ワンサロン(一茶論)開催決定

場所  西富竹公民館  13時30分~15時
第1回  6月21日(月)  「新発見一茶の妻、菊への手紙 」
第2回  7月19日(月) 「一茶と富竹の門人~半歌仙を巻いて200年~」

信濃毎日新聞で5月25日に紙面にて、講演会を希望者(無料)を募ったところ、長野市内および市外も含めて、20名以上の参加者の応募がありました。地区の歴史および郷土の俳人一茶に興味を持つ人が多いのに驚かされました。(コロナの影響で、参加者数は限定しております)過去の歴史は現在の住んでいる住民へと、血がつながっていることが認識できればいいかなと思っています。
6月10日    報告  富竹区 小澤文弘

「富竹の歴史を訪ねる集い」 活動報告         小澤文弘

第1章  小林一茶が富竹区で活動した記録をスクープ掘り起こして、現在にその姿をとどめたいと、昨年の3月から活動しております。コロナの影響で広く参加者を呼びかけることができませんでしたが、会員10名ほどで、月1回勉強会を公民館にて開催してまいりました。

会長:八木輝夫 事務局長:宮澤秀幸  
学習会講師: 近世俳諧文学研究家 玉城 司先生

*長野市富竹区は一茶が長く滞在した長沼地区と善光寺の中間にあり、俗称上州街道沿いで結ばれています。一茶の門人六川四方丸宅にも、煩繁に一茶は訪れたと言い伝えも残っています。
[一茶全集] 文政4年一茶59才の時、富竹村の六川四方丸41才宅にて半歌仙(連句)を巻きました。今年でちょうど200年になる、記念の年です。

八月十五日四方丸宅にての連句
   一茶と四方丸の発句と脇
              名月のさっさといそぎ玉ふかな 一茶
    
              盃とばす露のさむしろ 四方丸

記念の年に村の街道沿いにある、直心院に句碑を建てる準備をしてまいりました。
寺の管理しています、住職浅川さんより場所の設定の許可も得て、石と堀字、案内版の最終稿に入っています。
建立なった折には、子供たちの史跡巡りに利用できて、子供たちの俳句への親しみが増せばいいなと思っています。

(直心院は真田家につながる六文銭を屋根にいただく村寺です)
(四方丸は別名秋月庵・・・海山にまだ手はつかず春の月・・  )

長野県の江戸時代後期の俳人、四方丸について
回答
長野市富竹の人。本名・六川喜藤太。別号・秋月庵。
門人が長野市富竹の直心院に句碑を建立(慶応二年五月)。
回答プロセス
『長野県俳人名大辞典』の出典資料『長野市の筆塚 第2集』より、塚があることが判明。
同じく『長野県俳人名大辞典』の出典資料『ぬかづか』(未所蔵・『佐久の俳句史』に翻刻あり)に句の記載あり。出典:レファレンス協同データーベース(国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。)

5月24日      報告 富竹区小澤文弘

長野からの報告

長野からの情報を発信します。

今年は戸隠神社の式年大祭が5月25日まで開催されていまして。 このGW連休は多くの観光客が訪れています。私の 3年前の長野県シニア大学での卒業論文3人でまとめた、長野県戸隠神社の廃仏稀釈で政府に{消された寺の謎}を調査しました報告書をお送りします。
長野県の歴史は敗者の歴史の連続です。大きな政変があるときには何時も強者からの命令を受けています。
過去の歴史では(古代、平安時代、中世、戦国時代、江戸時代、明治維新)。
敗者の逃げ込む地域でした。